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人生朝露

人生朝露

「Let it go」と禅と荘子。

荘子です。
「プーさん」のつづき。

参照:プーさんと老荘思想。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005194/

『Frozen』(2013)。
今回はディズニー作品『アナと雪の女王(原題Frozen)』のテーマ曲「Let it go」を。アカデミー賞の主題歌賞を受賞し、世界的にヒットした楽曲です。日本では、「Let It Go〜ありのままで〜」として、去年、さんざん聴かされました。

ここで、「Let it go」と対比していただきたいのが、『Mulan(1998)』の「Reflection」です。
'Let it go’ 『Frozen(2013)』。 'Reflection’ 『Mulan(1998)』。
『アナと雪の女王』は、『リトルマーメイド』以降の、『美女と野獣』『アラジン』(かつては「ネオクラッシックス」と呼んでいた!)といった作品群を意識して製作されていますが、これは脚本や演出だけでなく、楽曲においてもそうだったようでして、「Let it go」と「Reflection」は大変よく似ています。
 まず、周囲の期待に応えられない主人公の苦悩という主題が一致しています。エルサのいう「perfect girl」と、ムーランのいう「perfect bride/ perfect daughter」も同じ用法です。曲中で髪をほどくという動作も同じ。ムーランの場合のはその後の展開で「変身」を遂げますが、エルサは一曲で「変身」しています。

参照:FROZEN - Let It Go Sing-along | Official Disney HD
https://www.youtube.com/watch?v=L0MK7qz13bU

Mulan - Reflections [HQ]
https://www.youtube.com/watch?v=1_BtlAw4trg

・・・ちなみに、「Reflection」の日本語版でも「ありのままの自分」という表現を使っていまして、日本語での「ありのまま」という言葉の用法も、『ムーラン』の方が先です。

Mulan - Reflection (Japanese Version)
https://www.youtube.com/watch?v=fGTSMCorc4g

『タオのプーさん』 ベンジャミン・ホフ著。
「ありのまま」「あるがまま」といった言葉は、前掲の『タオのプーさん』でもそうですが、老荘思想や禅、浄土といった中国由来の思想を日本語で説明する場合に、よく使われる言葉です。

参照:プーさんと老荘思想。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005194/

参照:道元禅師 映画『禅ZEN』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=fnWXt-3I1U4

実は、この歌詞は、西洋人が見る老荘思想や禅の思想の特徴的な見方をなぞっている形跡があります。
日本語版よりも英語版の方が一致点が多いのでその辺を(以後、歌詞はコテコテの直訳を付記します)。

『アナと雪の女王』エルサ。
"Let it go, let it go
Can't hold it back anymore(もう隠し続けられない)"
"I'm never going back, the past is in the past(これからは振り返らない、過去は過去のこと)"

Zhuangzi
『體盡無窮、而遊無朕、盡其所受於天、而無見得、亦而虚已。至人之用心若鏡、不將不迎、應而不藏、故能勝物而不傷。』(『荘子』応帝王第七)
→無限の世界に飛び出して、形なき世界を遊ぶ。天により受けたままの恩恵をことごとく受け入れ、それ以外を求めない。ひたすらに虚心になるのだ。至人の心は曇りなき鏡のようであり、過去の事象に囚われず、未来を思い悩むこともない。全ての変化に応じて、引きとめることもない。故に、曇りなき鏡を、何者も傷つけることはできない。

「将(おく)らず、迎えず、応じて、蔵せず」。過去を悔やまず、未来を悩まず、応じることはあっても、それを溜めおくこともない。今を生きる「ヒア・ナウ」の思想です。「Let it go」というのは、『荘子』に非常に近いです。

『アナと雪の女王』エルサ。
"I don't care what they're going to say(他人がどう言ったって気にはしないわ)"
"No right, no wrong, no rules for me, I'm free!(正しいも、間違いも、ルールもない。今こそが自由!)"

Zhuangzi
『吾所謂臧者、非所謂仁義之謂也、任其性命之情而已矣。吾所謂聰者、非謂其聞彼也、自聞而已矣。吾所謂明者、非謂其見彼也、自見而已矣。夫不自見而見彼、不自得而得彼者、是得人之得而不自得其得者也、適人之適而不自適其適者也。』(『荘子』駢拇 第八)
→私の言う「善」とは世間の言う仁義ではない。己が内にある自然の徳をあるがままにまかせることを善と言う。私の言う「聡」とは、外界の音がよく聞こえるということではなく、内なる声を聴けることを言う。私が言う「明」とは、外界の色をよく見分けられることではなく、内なる私を見つめられること言う。自分の内にあるものを見つめずに、外にあるものに気を取られたり、自分の心に適うものを求めずに、他人の心に適うものを求めるのは「他人が納得することは自分も納得するものだ」と思い込んでいるからであり、それは「自分の心に適うもの」とは言えない。他人の楽しみを自分の楽しみとしているうちは、「自適」とは言わないものだ。

自適。
「Let it go」というのは、エルサが雪山に篭るときに歌われるので、ちょうどマッチするんですが、悠々自適の自適というのは、後の世では隠者の教えの手本となる、荘子の特徴的な思想です。

参照:スティーブ・ジョブズと禅と荘子 その5。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5177/

『アナと雪の女王』エルサ。
"A kingdom of isolation, and it looks like I'm the Queen(孤独な王国にたたずむ、私は女王に見られているのね)"

Zhuangzi
『澤雉十歩一啄、百歩一飲、不?畜乎樊中。神雖王、不善也。』(『荘子』養生主 第三)
→沢のキジは十歩に一度エサをついばみ、百歩に一度水を飲む。そんなキジでも籠の中に閉じ込められる事を望まない。人間で言えば王様のようにエサや水にありつけても、心がそれを善しとしないからだ。

・・・王侯のような暮らしでも、自適であるとは限りません。

他にも、
『アナと雪の女王』エルサ。
"Don't let them in, don't let them see
Be the good girl you always have to be
Conceal, don't feel, don't let them know"
ここであらわれている、エルサに求められる圧力ついても、

Confucius /Kongzi(孔子・551?479 BC)。
『子曰「民可使由之,不可使知之。」』(『論語』泰伯)
→先生はおっしゃった「民衆には、由らしめるべきであり、知らしめてはならない。」

日本人の多くが曲解する『論語』の「知らしむべからず、由らしむべし」にそっくりでして、ステレオタイプな儒家と道家の対立軸とも一致点が見られます。

あと二つ、特徴的な歌詞。
『アナと雪の女王』エルサ。
“Let the storm rage on(嵐よ吹きすさぶままに)”

自然。
“Let the storm rage on”。これは、ユングのタオイズムの捉え方に非常に近い、内と外の自然の関係を象徴していまして、ユングの影響ではないかと思います。

参照:ユングと雨乞い、ユングと無為自然。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5191/

一休宗純(1934~1481)。
「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」一休宗純

『アナと雪の女王』エルサ。
“The cold never bothered me anyway!(もう冷さに煩うことはないわ)”

Zhuangzi
『且有真人、而後有真知。何謂真人?古之真人、不逆寡、不雄成、不謨士。若然者、過而弗悔、當而不自得也。若然者、登高不慄、入水不濡、入火不熱。是知之能登假於道也若此。』(『荘子』大宗師 第六)
→真人ありて、しかる後に真知あり。どのような人を真人というのだろうか?(中略)高所にあっても物怖じせず、水に入っても濡れず、火に入っても熱さを感じない。知が至り道に到達したものはこのようなものだ。

参照:始皇帝と道教。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201410120000/

・・・「Let it go」の歌詞は、『荘子』に描かれている至人、真人といった人々や、代表的な禅者が到達した「境涯」の言葉にぴったり符合するんです。私は偶然だとは思っていません。

永平道元(1200~1253)。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」 永平道元

今日はこの辺で。


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